名古屋にある南区の古史などについて、詳しく解説するサイト『名古屋市南区の古史』

●●●道徳●●●

【若宮八幡社】

若宮八幡社には氷室長冬開墾地の碑があります。
氷室長冬が1856年に開墾した氷室新田は、東西1.5キロ、幅は約100メートルと
いう細長い形の新田でした。
かつてはここに山崎川が流れていて、川の流れを変えて川底だったところに作られたのが
氷室新田なのでこのような形になったのです。
そのため瀬違新田という別名もあります。
川底での耕作には相当の苦労を要したそうです。

【道徳公園】

道徳公園の池の北側には大きな記念碑、鷲尾善吉翁領徳碑が建っています。
道徳前新田を開墾した鷲尾善吉は海西郡塩田村の豪農で、新田は尾張藩御小納戸所有になり、
1925年に開放されます。
この碑には新田が完成した1821年から1925年までの歴史が刻まれています。

【忠治新田】

忠治新田は熱田神宮の神官だった田島肥後が1727年に開墾に失敗し、その後井上忠次郎
が完成させた新田です。
忠治橋の西にある道徳東部公園には忠次稲荷神社もあります。
このあたりは忠次、忠治と名の付くものが多くありますが、統一されていません。

【七所神社】

七所神社の創建は938年と古く、平将門が乱を起こした時に遡ります。
その乱を鎮めるために熱田神宮のお御輿を星崎に移し、鎮圧を祈願したそうです。
そして乱が収まった後、そこに氏神様として祀ったのが七所神社です。
その後11世紀の中頃に現在地に移りました。
七所神社の北側にある丘には戦国時代、山口盛重によって寺部城が築城されましたが、現在
では粕畠公園となっていています。

【粕畑貝塚】

名古屋市にあるこの貝塚はバイガイ主体の小さな貝塚で、1935年に発見されました。
尾張地方では最も古い貝塚で、貝塚からは縄文時代早期末の土器も出土し、粕畑貝塚の名を
由来として、当時の土器を粕畑式と呼ぶようになりました。
しかし現在は貝塚自体は壊されてしまいました。
ここは貝塚跡であるだけでなく、笠寺観音が小松寺として建立された場所でもあり、石碑
には「南無十一面観世音大菩薩」の文字もあります。
小松寺が笠覆寺となり現在の場所に移ったのは、藤原兼平夫妻が再興したときになります。