名古屋にある南区の古史などについて、詳しく解説するサイト『名古屋市南区の古史』

●●●笠寺観音●●●

【笠覆寺】

笠寺観音というのは通称で、正式には笠覆寺と言います。
笠覆寺が開かれたのは天平年間の頃だそうです。
736年に呼続の浜辺に一本の流木が漂着して夜になると光を放っていました。
それを善光という僧が拾って十一面観世音菩薩像を彫り、小松寺に安置しました。
しかしその後小松寺は荒廃してしまいます。
その後観音像は風雨にさらされていたのですが、そこを通りがかった娘が雨にさらされて
いる観音像を不憫に思い、自分の被っていた笠を観音像にかぶせてあげました。
その後たまたま関白藤原基経の息子である藤原兼平がやってきたときにその話を聞き、娘の
優しさに惹かれて娘を妻として迎えました。
兼平夫妻は930年、現在の場所に寺を復興すると、笠を覆った観音さまを祀る、笠覆寺と
いう名に改名しました。
今でも笠覆寺には縁結びのご利益があるとして、多くの参拝客が訪れています。

【西方院】

名古屋市の笠寺観音の西門前にある西方院には烏瑟沙摩明王が祀られています。
この明王像は木曽義仲の母が持ち歩いていたもので、義仲を無事安産できたことからご利益
があるとされています。
安産のほかにも、婦人病や下の病気などにご利益があると言われています。

【泉増院】

泉増院は笠覆寺の十二坊のひとつで、笠覆寺を復興した兼平夫妻の妻である玉照姫の像を
祀っているお寺です。
この泉増院では厄除け人形祈祷が行われています。
人形に家族の名前と年齢を書いて悪いところを黒く塗りつぶし、そして人形を撫でたり息を
吹きかけて願いを込め、お寺に預けます。
泉増院では厄除けの他にも、縁結や安産などにご利益があります。

【東光院】

東光院も笠覆寺の十二坊のひとつ、宿坊として建立されました。
本堂は江戸時代中期に建てられたものです。
ここには星崎城主だった山口重勝が持っていた菅原道真の肖像画「出世お神酒天神」が納め
られており、学問の神様として信仰を集めています。